三ノ丸北側の曲輪だが、桜町、小砂町、或いは桜町曲輪などと呼ばれた。 内部はほぼ平坦で、西側が桜町、東側が小砂町で大身の家臣屋敷が建ち並んでいる。
虎口は北西の観音寺曲輪につながる桜門と北東の諏訪曲輪につながる御成門が開かれている。
また西側には茂平河岸とよばれる船着き場があるが、河岸の形状は絵図によって表現がまちまちでよく分からない。
周囲には濠水面よりの高さ3間強の土塁が巡っている。北東には獅子ヶ崎と呼ばれる突出部があり、昭和51年頃まで残っていたが、道路造成で削り取られてしまった。
曲輪の土塁上には、川沿いの土手を除きぐるりと土塀を巡らしていて、城下からの景観を重視していたようだ。
北側濠は沼か旧河道を利用したようで不定形である。桜門西側の扇形の箇所は鏡堀と呼ばれる。
西側は渡良瀬川で川幅50~60間程、東側は下堀で幅75間程である。
現在は獅子ヶ崎西側の濠と土塁の一部が残っているが、旧土井家中の藤懸家より市に寄付され、平成23年(2011)遺構として整備された。