丸ノ内の北側にあり最北端の曲輪となるが、慶長年間に松平康長により小山観音寺を移転し、曲輪として整備された。
西・北・東側に濠水面より高さ4間強の土塁が巡るが、櫓は無く塀は追手門周辺のみである。
北西角の土塁上には現在、頼政曲輪から移された頼政神社が鎮座しており、貴重な残存遺構となっている。
濠の幅は北側15間、西側は沼と表記されており16~36間程で、東側は百間堀と呼ばれていたが45~65間程であった。
北側が人工的に直線なのは、元々地続きであったところを濠と土塁で断ち切ったためだと思われる。
さらに城内側の方が低いのを補うためか、外郭ながら本丸並の高土塁を構えている。
虎口は西の船渡門と北の追手門が開かれており、内部は北から南へ緩い下りで、大身の屋敷が建ち並んでおり、西南には幅48間程の沼がある。
曲輪の北側には永井氏建立の永井寺と、土井氏建立の正定寺、小笠原氏建立の隆岩寺があり、いざという時には砦として利用する思惑があったと思われる。
西側の船渡門外には中世以来の船渡河岸があり、江戸後期には船倉も設けられた。