北側にある虎口で、堅固な内枡形門となっている。
姿図によると城外側の一の門は冠木門(恐らく高麗門)で、左右に塀があり、塀の屋根から土塁上に柵が設けてある。
二の門は切妻屋根の櫓門で、門の左右は石積みされており、枡形は幅6間半・奥行16間、周囲の土塁の高さは2間でその上を塀が巡っている。
門前には土橋があり、御橋代と呼ばれていたようである。
日光社参において将軍が古河城に宿泊する際、行きは御成門から入城し追手門から出城、帰りは追手門から入城し御成門から出城している。
北側にある虎口で、堅固な内枡形門となっている。
姿図によると城外側の一の門は冠木門(恐らく高麗門)で、左右に塀があり、塀の屋根から土塁上に柵が設けてある。
二の門は切妻屋根の櫓門で、門の左右は石積みされており、枡形は幅6間半・奥行16間、周囲の土塁の高さは2間でその上を塀が巡っている。
門前には土橋があり、御橋代と呼ばれていたようである。
日光社参において将軍が古河城に宿泊する際、行きは御成門から入城し追手門から出城、帰りは追手門から入城し御成門から出城している。