西側にある虎口で、城内の死者をここから出したため不浄門とも呼ばれる。
現在の三国橋たもとのすぐ北側で、船渡門跡石碑とは若干離れた南よりの位置にあった。
城絵図では内枡形の虎口のようにも見えるが、それだと堤防が途切れてしまうので、川手門のように堤防上に建てられていたものと思われる。
門は屋根が切妻造りの櫓門で大きさは不明、両袖に短い板塀を伴う。
西側にある虎口で、城内の死者をここから出したため不浄門とも呼ばれる。
現在の三国橋たもとのすぐ北側で、船渡門跡石碑とは若干離れた南よりの位置にあった。
城絵図では内枡形の虎口のようにも見えるが、それだと堤防が途切れてしまうので、川手門のように堤防上に建てられていたものと思われる。
門は屋根が切妻造りの櫓門で大きさは不明、両袖に短い板塀を伴う。