低空飛行のページ
古河城の研究とCG復元

 長らく詳細不明だったが、本多家旧臣の中根家が保存していた「下総古河城内本丸ノ図」により、その構成が明らかにされた。 (浅野伸子氏「古河城本丸の御成御殿について」)

 建物配置をみると、本丸門を入った正面に玄関と大広間が並び、玄関の奥には料理ノ間が、大広間の奥には御成御殿が置かれている。
 江戸時代初期の木割書「匠明」の当代屋敷の図は、御成門や御成書院、数寄屋など将軍のお成りに備えた構成になっており、それとよく似ている。 全体をみると宿泊のためというより、お成り(将軍と大名の主従関係確認のための重要な儀礼)を重視した御殿となっている。

 記録によると舞台も設けられている。通常は大広間または御成御殿の前庭に設けるものだが、敷地が狭く能舞台のような大掛かりなものでは無いと思われる。
 御休息ノ間には御囲(茶室)や御風呂屋が付属しており、これも御成りの儀礼上の重要な施設である。

 小田原城や宇都宮城などの、将軍が宿泊する本丸御殿と同様に、城主が使うことは無く、将軍専用の御殿であった。
 本丸内部は柵や塀で細分され、特に御休息ノ間付近が厳重に囲われている。

 創建時期は御成門を整備した永井氏時代ではないかと思われるが、記録がなく不明である。 ただし舞台、長局は正保4年中に出来ると「日光御社参古河日記」にある。
 取り壊しは本多氏時代に行われているようだが、これは宇都宮城などと同時期で、 いずれも老朽化と維持経費に苦しんでいたようだ。その後は廃城時まで空き地となっている。

日本分国絵図 下総古河城図本丸部分
日本分国絵図「下総古河城図」
[国立公文書館]
御殿が簡略に描かれている
本丸御殿CG
南西より見る本丸御殿
本丸御殿平面図
本丸御殿平面図[管理人作成]
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