正保城絵図によると南北108間、東西25間の細長い曲輪で、虎口は北の三ノ丸へつながる二ノ丸門と南の頼政曲輪につながる平門がある。
外側三方に濠水面より高さ3間半~4間の土塁が巡るが、櫓は無く、土塀は北側にある居宅廻りと門の付近だけに限られている。
濠の幅は北側15間、西側8間、南側14間、深さ4~5尺である。
内部は北側半分の敷地に、城主の住まいである居宅と呼ばれる殿舎が建てられている。 南側半分は前期土井氏時代には家臣の屋敷が置かれ、その後は馬場(または空き地)となっている。 また、本丸御成御殿取り壊し後の日光社参時に、将軍の宿泊所が作られた所でもある。