城主の住まい、そして藩の役所(藩庁)でもある。
だが歴代城主は幕府要職に就いている者が多く、ほとんど江戸や任地で過ごす上に夫人は江戸常駐だったため、小規模の御殿であり奥向殿舎も無かった。
御殿表門や式台前のアプローチが無いのは敷地が狭い影響と思われるが、窮屈な配置となっている。
建物群の中央付近に東向きに玄関があり、南側に大広間などの「表」、西側が城主の居室などの「中奥」、北側は台所および役所などに分かれている。
「表」は上段から竹ノ間へL字形に五室続く、古式で格式高い造りである。
大広間に風呂が付属しているのはかなり異例で、風呂自体は接待用の 施設であるから、将軍御成りとの関連が考えられる。
また、上段が床・違棚・納戸構・附書院を備えた最上位の構成なのも、大広間の東に唐門を備えているのも、御成りに関連していると考えられる。
本丸御成御殿がありながら、二ノ丸にも御成り設備がある例として小田原城があるが、使い分けしていたのか、建設時期が違うせいなのか、検討が必要なところである。
「中奥」では居間は城主が政務を行う部屋で、寝間が休息の部屋である。
湯殿・用場が付属するが、奥向の建物が無いためかなりあっさりしている。
本丸御成御殿を使わなくなって以降、日光社参のたびに居間の西側に、将軍宿所が建てられている。
役所は役ごとの部屋割りが粗く未分化である。また、台所関係も狭く、古式な印象を受ける。
これらの殿舎はのちに建替があったようで、大広間はほぼ旧来を踏襲しているものの、居間棟や役所・台所などはかなりの変化がみられる。