三ノ丸から頼政曲輪にかけての西側にあり、南北の長さ600mに及ぶ細長い曲輪で、内郭と渡良瀬川を隔てることで、攻撃と川の水害から守る役目であった。
南端には搦手の川手門が置かれたが、堤防が土塁をかねているため門も堤防上に建っている。
この門の外側には米揚げ場があり、頼政曲輪の米蔵への搬入路でもある。
土塁は川に面していない箇所で高さ2間、その上には柵が巡らされている。
この土塁は川の流れが強く当たる位置になるが、明治期に川岸には杭や石が残っていたとの話があり、蛇カゴと呼ばれる竹カゴに石を詰めたもので浸食防止をしていたと思われる。