三ノ丸門の東側の塁上に上げられていたが、名称不詳で規模・形状も不明。
当初は大手口の着到櫓の役目があったようで、正保城絵図では大きな二層櫓として描かれているが、
江戸中期以降の絵図では、単層の小さな建物となっている。建替の理由は不明だが、小さくなったのは重要性が薄れたためと推定される。
千賀覚次著「古河藩のおもかげ」には三ノ丸門すぐ東の土手上に白壁土蔵造りの煙硝蔵があった、
との記述がありこの建物を指していると思われるが、このような場所に煙硝蔵を設けることは危険きわまりなく、信じがたい。