古河城御三階櫓三次元CGの制作(01)資料について
(2018.6.10 記)
古河城のシンボルであり、実質的な天守閣であった御三階櫓の、三次元CG制作過程を何回かに分けて紹介します。
1回目は復元の資料についてです。
現在詳細が判るのは以下に取り上げる絵図2点、写真2点となっています。内部造作の判るものは無く、とても十分とは言えませんが、他城を参考にすれば何とか全体復元は可能となります。
A.「御三階櫓絵図」鷹見泉石関係資料 古河歴史博物館蔵
図中に寛永十酉五月とあるので、時期的に幕府に提出した建築伺いの添付図と推定します。今残っているのはその控図か、控図の写しと思われます。
(著作権に配慮し、本サイトでは管理人作成の図を使います。図全体は御三階櫓建地割図.pdf
をご覧ください。)
この図は上に1/20の縮尺の平側立面図(軸組図)が置かれ、下に横並びに一重目から三重目の1/60の平面図が置かれています。
そして心柱と側柱と屋根が黒で、入側柱と梁・桁が朱と橙で各重ごとに色分けされおり、美麗な図となっています。
軸組みについては妻側の立面図が無く、柱をつなぐ貫、階段や窓なども記されていないため構造は不完全にしか判りませんが、柱間寸法・部材太さ・階高などが記されています。
1間の長さというものは不定で(現在でも京間や江戸間がある)、復元のネックになるところですが、この図では桁行・はり行が六尺間(江戸間)で表記されており、貴重な情報となっています。
B.写真 明治三年武藤松庵撮影 原版の現在の所在は不明
武藤氏は天保十年古河に生まれ、池坊総華督として華道の全国普及に尽くしたほか、写真術を習得した人物です。
古河城を写したものは全部で7枚で、その内、御三階櫓は北東からと北西からの計2枚撮影されており、特に北東からのものは多くの書籍にも掲載されていて有名です。
その2枚を見比べると、窓の開閉状況や日差しによる影の有無から別の日に撮影されたもののようです。
詳しく見ると、漆喰の剥がれや軒先の垂れ下がりなど、かなり老朽化が目立つものの絵図とよく符合しており、創建当初の姿を留めているものと思います。
C.「三階櫓図」古河史蹟写真帖 渡邊恒吉氏蔵とあるが原図の現在の所在不明
写真帖によると藩の作事役所の備え図と説明されています。武藤氏撮影の写真で写っていない南側の玄関や窓の配置、また基壇が石積みであることが判明します。
図の左側に広さや階高が記され、さらに左端近くには読取り困難ですが、窓の大きさなどが書いてあるようです。
各階の呼び方が、二階→中二階、三階→上二階、四階→三階、天井裏→四階、となっており、これは四は死に通じるため最上階を四階と呼ばないためと思われます。
A図と比べると全体高さはほぼ同じながら、中二階(A図では2階)と上二階(A図では3階)の床高さに大きな違いがあり、A図は計画寸法で、C図が実寸法の違いではないかと推測します。
基壇からの位置 | A図の高さ | C図の高さ |
---|---|---|
1階床 | 二尺三寸 | 二尺三寸 |
2階床(中2階床) | 一丈五尺二寸 | 二丈八寸 |
3階床(上2階床) | 二丈八尺一寸 | 三丈三尺三寸五分 |
4階床(3階床) | 四丈六尺二寸 | 四丈六尺一寸三分 |
天井(4階) | 五丈六尺三寸 | 五丈六尺三分 |
棟 | 七丈三尺一寸 | 七丈二尺二寸三分 |