低空飛行のページ
古河城の研究とCG復元
西暦 年号 出来事
平安時代末頃 下河辺庄司行平、立崎に居館を構える[永享記]
1183 寿永2
治承5とも
下河辺庄司行平、古河・高野渡しを固める(野木宮の合戦)[吾妻鏡]
1192 建久3 源頼朝、征夷大将軍に就任
1333 元弘3/正慶2 鎌倉幕府消滅 建武の中興
1338 延元3/建武5 足利尊氏、征夷大将軍に就任
1387 至徳4/嘉慶1 古河住人野田右馬助、囚人を捕らえる[鎌倉大草紙]
1386 至徳3 鎌倉公方足利氏満、古河に着陣(小山若犬丸の乱)[鎌倉大草紙]
1396 応永3 鎌倉公方足利氏満、古河御陣を構える(小山若犬丸の乱)[鎌倉大草紙]
1441 嘉吉1 幕府軍に攻められ野田・矢部氏落去(結城合戦)[鎌倉大草紙]
1455 享徳4 鎌倉公方足利成氏、鎌倉から鴻巣に移り、後に古河城へ移る(初代古河公方,享徳の乱)[鎌倉大草紙]
1471 文明3 鎌倉公方足利成氏、上杉方の攻勢で千葉氏の元に移るが、翌年古河に戻る[鎌倉大草紙]
1482 文明14 成氏と幕府が和睦し、享徳の乱終結(都鄙合体)
1489 享徳4 足利政氏、公方就任(二代古河公方)
1497 明応64 足利成氏、死去
1506 永正3 足利政氏、子の高基と対立 高基は宇都宮へ移るが、同年中に古河に戻る
1510 永正7 足利政氏、再び高基と対立 高基は関宿に移る
1512 永正9 足利高基、古河に戻り公方就任(三代古河公方) 政氏は小山、岩槻と移り、永正5に久喜に隠居する
1531 享録4 政氏死去 高基隠居 足利晴氏、公方就任(四代古河公方)
1538 天文7 古河公方・北条連合軍、国府台合戦で勝利(小弓公方足利義明敗死)
1546 天文15 古河公方・上杉連合軍、川越合戦で北条氏に敗れる
1553 天文22 晴氏、北条氏と対立、波多野に幽閉さる
足利義氏、葛西にて公方就任(五代古河公方)、後に古河に戻る
1558 永禄1 義氏、関宿に移り、梁田氏が古河に移る
1560 永禄3 晴氏死去
1561 永禄4 長尾(上杉)氏の関東出兵
義氏、小金城から佐貫城、そして鎌倉に移動
梁田氏は関宿へ、足利藤氏・近衛前久、古河城に入るが、翌年退去する
1565 永禄8 第一次関宿合戦
1568 永禄11 第二次関宿合戦
1570 元亀1 義氏、古河に戻る
1573 元亀4 織田信長が将軍義昭を京都から追放、室町幕府消滅
1573 天正1 第三次関宿合戦 梁田氏は敗北し、北条氏に関宿城を明け渡す
1582 天正10 本能寺の変 織田信長死去
1583 天正11 義氏、死去 氏女相続
1590 天文18 秀吉の小田原征伐 徳川家の関東国替え
氏女鴻巣へ移動
小笠原秀政、松本より三万石で入封 父の貞慶が古河城に入る
1596 文禄5 貞慶死去 秀政、古河城へ移動
1601 慶長6 秀政、飯田へ転封
1602 慶長7 松平(戸田)康長、臼井より二万石で入封
1603 慶長8 徳川家康、征夷大将軍に就任 江戸幕府開府
1608 慶長13 古河城災にかゝる[當代記]
1612 慶長17 康長、笠間に転封
小笠原信之、本庄より二万石で入封
1614 慶長19 信之死去 子の政信が相続
1615 慶長20/元和1 大阪冬の陣・豊臣氏滅亡
1617 元和3 将軍秀忠、日光社参
1619 元和5 政信、関宿へ転封
奥平忠昌、宇都宮より十一万石で入封
将軍秀忠、日光社参 古河城に往路宿泊、復路不明
1622 元和8 忠昌、宇都宮へ転封
永井直勝、笠間より七万二千石で入封
将軍秀忠、日光社参 古河城に往路宿泊、復路不明
1625 寛永2 直勝死去 子の尚政が相続、自領と父の遺領と併せて八万九千石
将軍家光、日光社参 古河城に往路宿泊、復路不明
1628 寛永5 将軍家光、日光社参 往復路不明
1630 寛永7 喜連川尊信、鴻巣から喜連川へ移る
1632 寛永9 将軍家光、日光社参 古河城に往路宿泊、復路城下観音寺で休息
1633 寛永10 尚政、淀に転封
土井利勝、佐倉より十六万石で入封
1634 寛永11 将軍家光、日光社参 古河城に往復路宿泊
1636 寛永13 将軍家光、日光社参 古河城に往路宿泊、復路城下御茶屋で休息
1640 寛永17 将軍家光、日光社参 古河城に往路宿泊、復路休息
1642 寛永19 将軍家光、日光社参 古河城に往路宿泊、復路休息
1644 寛永21/正保1 利勝死去 長男の利隆が相続、弟に分与し十三万五千石
1648 慶安1 将軍家光、日光社参 古河城に往路宿泊、復路城下御茶屋で休息
1649 慶安2 大納言家綱、日光社参 古河城に往路宿泊、復路休息
1657 明暦3 江戸大火事(振袖火事)
1658 万治1 利隆隠居 長男の利重が相続、叔父・弟に分与し十万石
1663 寛文3 将軍家綱、日光社参 古河城に往復路宿泊
1673 延宝1 利重死去 弟の利久が相続
1675 延宝3 利久死去により改易 兄の利益により再興七万石
1681 延宝9/天和1 利益、鳥羽に転封
堀田正俊、安中より十三万石で入封
1682 天和2 城下火事(詳細不明)
1684 貞享1 正俊、稲葉正休に刺され死去 長男の正仲が相続、弟に分与し十万石
1685 貞享2 正仲、山形に転封
藤井松平信之、郡山より九万石で入封
1686 貞享3 信之死去 子の忠之が相続
1687 貞享4 忠之、弟に分与し八万石 熊沢蕃山を蟄居謹慎とする
1693 元禄6 忠之、乱心により改易
1694 元禄7 大河内松平信輝、川越より八万石で入封
1695 元禄8 城下火事(詳細不明)
1708 宝永5 城下火事(詳細不明)
1709 宝永6 信輝隠居、子の信高(後に信祝に改名)が相続、城下火事(詳細不明)
1712 正徳2 信高、吉田へ転封
本多忠良(ただなが)、刈谷より五万石で入封(家格は十万石)
1722 享保7 城下火事(詳細不明)
1727 享保12 城下火事(詳細不明)
1728 享保13 将軍吉宗、日光社参 古河城に往復路宿泊
1731 享保16 大工町より出火、城下150軒焼失
1743 寛保3 城下火事(詳細不明)
1751 宝暦1 忠良死去 子の忠敞(ただひさ)が相続
1759 宝暦9 忠敞、浜田へ転封
松井松平康福(やすよし)、浜田より五万四百石で入封
1762 宝暦12 康福、岡崎へ転封
土井利里、唐津より七万石で入封
1766 明和3 御蔵下から出火、城下北半分焼失
1771 明和8 鍛冶町から出火、二丁目・紺屋町から屋敷町焼失
1776 安永5 将軍家治、日光社参 古河城に往復路宿泊
1777 安永6 利里死去 養子の利見(としちか)が相続、同年中に死去 養子の利厚が相続
1783 天明3 浅間山大噴火・天明の大飢饉
1822 文政5 利厚、加増により八万石、同年死去 養子の利位が相続
1824 文政7 大水 船渡門脇が決壊、御殿・家中屋敷浸水
1837 天保8 大塩平八郎の乱 大阪城代の利位が鎮圧
1843 天保14 将軍家慶、日光社参 古河城に往復路宿泊
1846 功化3 丙午の大水 城内浸水、侍屋敷51軒が倒潰、本丸裏門橋崩壊
1848 嘉永1 利位隠居 養子の利亨(としなり)が相続、同年死去 養子の利則が相続
1861 文久1 江戸町から出火、町方中心部焼失
1867 慶応3 将軍慶喜が大政奉還、江戸幕府消滅
利則隠居 子の利与(としとも)が相続
1869 明治2 利与、版籍奉還