安土桃山時代
古河公方足利義氏の男子は早世したため、天正十一年(1583)に義氏が没すると、後には女子(通称氏姫または氏女、古河姫とも)が残された。
天正十八年(1590)の豊臣秀吉による小田原征伐を迎え、後北条氏の滅亡により氏姫は城から退去し鴻巣に移り、古河城は一時廃城となった。
関東には徳川家康が転封となり、江戸城を居城とし、古河には小笠原秀政(府中小笠原氏)が三万石で入封した。
秀政は家康の孫の福姫を奥方に迎え、徳川家の与力大名となっていたが、関東転封を機に徳川家から所領を与えられ、徳川の家臣化したものと考えられる。
秀政は当初栗橋城に入り、古河城は父の貞慶が入った。文禄四年(1595)貞慶が亡くなり、、城下の大隆寺(正麟院)へ葬られると、代わって秀政は古河へ移り、栗橋城には家臣の犬甘氏をいれた。
府中小笠原氏は栗橋を含め通算11年在城し、関ヶ原合戦後の慶長六年(1601)に二万石加増され信州飯田へ転封となった。
鴻巣に居た氏女には周辺の領地300石余りが、豊臣秀吉により安堵された。