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古河城の研究とCG復元

 1873年の全国城郭存廃ノ処分並兵営地等撰定方(廃城令)で建物は取り壊され、城内の大半は畑に、濠は水田となった。
 明治時代は塁濠の輪郭をほぼ留めていたものの、1910年の台風による大洪水を期に渡良瀬川の大改修工事が始まり、流路の直線化によって古河城中心部は河川敷(高水敷と堤防敷)となり、地盤ごと削り取られて消滅した。

 大正時代以降、外郭部はなお田畑として残っていたが、1950年頃からは道路建設や宅地化などが急速に進み、今は古河歴史博物館周辺と頼政神社などに、わずかに土塁が残る状況となっている。

明治16年測量二万分の一地形図の画像
1:20000地形図
明治16年測量27年修正
明治40年測量五万分の一地形図の画像
1:50000地形図
明治40年測量
昭和14年発行古河町地図の画像
1:10000古河町地図
昭和14年発行
昭和28年測量二万五千分の一地形図の画像
1:25000地形図
昭和28年測量
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